「推しの子」自体が劇中劇であることを示唆するような伏線が散りばめられていることにお気づきでしょうか?
もしも「推しの子」が劇中劇だとしたら、これまでの物語は一体何だったのでしょうか?
この記事では、「推しの子」が劇中劇である可能性について、作中の伏線や作者の発言、そして読者の考察を交えながら徹底的に検証していきます。
劇中劇を匂わせる伏線
「推しの子」には、劇中劇であることを匂わせる伏線が数多く存在します。
タイトルの【】
「推しの子」というタイトルには、【】(かぎかっこ)が付いています。
この【】は、作中劇であることを示唆しているのではないでしょうか?
【】は、書籍や映画などのタイトルを表記する際に用いられる記号です。
つまり、「推しの子」というタイトル自体が、作中におけるフィクション作品であることを暗示している可能性があります。
読者の間では、この【】が、物語の重要な鍵を握っているのではないかと考察されています。
164話のタイトルが「終幕」
『推しの子』の第164話のタイトルが「終幕」になっているのは確かに興味深いです。一般的に「終幕」は劇の終了を示す言葉ですので、物語内で何らかの大きな区切りや展開が起こることを示唆しているのかもしれません。アクアの死亡によって物語の幕が下りた、つまり劇中劇としてのストーリーが一段落したという解釈も考えられます。
アニメOPのウサギの操り人形とアクア死亡シーン
女王蜂が歌う「推しの子」アニメOP「メフィスト」のアニメーションには、ウサギの操り人形が登場します。
このウサギはルビーを象徴していると考えられます。
操り人形は、誰かに操られている存在であり、自分の意志では動けません。
またアクアの死亡シーンについても描かれており、アクアも同様に赤い糸で操られているかのような演出がされています。
これは、アイやアクア、ルビーが、運命に翻弄され、操られていることを暗示しているのではないでしょうか?
また、OPのアニメーションでは、ウサギの操り人形が、舞台上で踊ったり、歌ったりする様子が描かれています。
これは、「推しの子」の物語自体が、舞台上で演じられている劇中劇であることを暗示しているのかもしれません。
公式によるサインの寄せ書き
「推しの子」の公式Twitterアカウントでは、作者の赤坂アカ先生と横槍メンゴ先生、そして作中のアイドルグループ「B小町」のメンバーや主要キャラのサインが投稿されています。
このイラストには、アクア、ルビー、有馬かな、MEMちょのサインに加えて、アイ、さりな、ゴローのサインも含まれています。
しかし、アイ、さりな、ゴローは作中で既に故人となっているため、彼らがサインをすることは本来不可能です。
これは、「推しの子」の世界がフィクションであり、彼らが役者としてサインをしていることを示唆しているのではないでしょうか?
これは、「推しの子」という作品が、どのようにして作られたのかを描いたドキュメンタリー番組のようなものを連想させます。
もしも「推しの子」が劇中劇だとしたら、この寄せ書きは、作中劇の制作に関わった人々のサインであると解釈することもできます。
さりなとゴローのサイン
前述の寄せ書きには、さりなとゴローのサインも含まれています。
しかし、さりなは幼少期に亡くなっており、ゴローもアイの死後、殺害されています。
彼らがサインをすることは、現実的には不可能です。
これは、「推しの子」の世界がフィクションであり、さりなとゴローもまた、役者としてサインをしていることを示唆しているのではないでしょうか?
もしも「推しの子」が劇中劇だとしたら、さりな役、ゴロー役の役者が存在することになります。
そして、その役者たちが、ファンサービスの一環としてサインをしていると考えることができます。
作者の発言
原作者の赤坂アカ先生は、インタビューで「推しの子」のタイトルについて以下のように語っています。
意図的に二重にしていて、作中の演出で使用するプランはあります。……くらいの回答でお願いします!
この発言は、「推しの子」のタイトルに隠された意味があり、それが作中で明らかになる可能性を示唆しています。
劇中劇という展開は、まさにこの発言を裏付けるものと言えるでしょう。
赤坂アカ先生は、「かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜」でも、読者の予想を裏切るような驚きの展開を何度も見せてきました。
「推しの子」においても、読者の度肝を抜くような仕掛けが用意されている可能性があります。
読者の考察
読者の間でも、「推しの子」が劇中劇である可能性について様々な考察がされています。
さりな生存IFが本来の世界?
163話では、さりなの病気が回復し、アイと一緒にアイドル活動をするIFの世界が描かれました。
このIFの世界こそが本来の世界であり、「推しの子」の物語は、その世界を舞台にした劇中劇であるという考察があります。
読者の間では、このIFの世界が、現実世界とリンクしているのではないかと考察されています。
全てはゴローの死にゆく脳内の出来事?
ゴローはアイを殺した犯人を追う中で、命を落としてしまいます。
「推しの子」の物語は、ゴローが死ぬ間際に見た夢、あるいは走馬灯のように駆け巡った記憶であるという考察があります。
もしもこれが真実だとしたら、「推しの子」は、ゴローの強い想いが生み出したifの世界と言えるでしょう。
別々の漫画を一つにまとめた?
「推しの子」は、ルビー、アクア、あかね、それぞれの視点から物語が描かれています。
まるで別々の漫画を一つにまとめようとしたかのような構成であり、それが劇中劇であることを示唆しているという考察があります。
それぞれの視点から描かれる物語が、最終的にどのように交わるのか、注目が集まります。
アクア死亡の矛盾点
「推しの子」164話では、アクアが海で溺死するシーンが描かれました。
しかし、アクアの死にはいくつかの矛盾点があり、読者の間で議論を呼んでいます。
劇中劇だからこその矛盾
例えば、冬の海で溺死したアクアの遺体の損傷が少ない点や、アクアがカミキヒカルに殺されたという報道がなされる点などが挙げられます。
これらの矛盾点は、現実世界ではありえない出来事ですが、「推しの子」が劇中劇であるとすれば、説明がつきます。
フィクションの世界では、現実の法則に縛られる必要はありません。
作者は、物語を盛り上げるために、あえて現実離れした描写を取り入れることがあります。
アクアの死の矛盾点も、劇中劇ならではの演出である可能性があります。
また、アクアがカミキヒカルに殺されたという報道も、劇中劇における演出の一つと考えられます。
現実世界では、警察が事件性があると判断した場合、遺族に連絡する前に報道機関に情報を公開することはありません。
しかし、劇中劇では、物語をドラマティックにするために、このような演出が用いられることがあります。
読者の間では、これらの矛盾点が、劇中劇であることを示す伏線ではないかと考察されています。
劇中劇エンドの可能性
もしも「推しの子」が劇中劇だとしたら、どのような結末を迎えるのでしょうか?
ハッピーエンド
劇中劇であれば、登場人物たちが現実世界で幸せに暮らしているというハッピーエンドも考えられます。
アクアとルビーは役者として成功し、あかねは探偵として活躍しているかもしれません。
あるいは、アイも生きていて、皆で仲良く暮らしているという、読者にとって理想的な結末が描かれる可能性もあります。
メタフィクション
「推しの子」が劇中劇であることを、作中で明示するメタフィクション的な結末も考えられます。
登場人物たちが、自分たちがフィクションの存在であることに気づくという衝撃的な展開になるかもしれません。
これは、「推しの子」の世界観を根底から覆すような、非常に大胆な結末と言えるでしょう。
まとめ
「推しの子」が劇中劇である可能性は、決して低くありません。
作中の伏線や作者の発言、そして読者の考察を総合的に見ると、劇中劇エンドは十分にあり得る展開と言えるでしょう。
もしも劇中劇エンドが実現した場合、「推しの子」は、読者に衝撃と感動を与える、忘れられない作品になるはずです。
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